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20211028
母は私の写真を撮る時、すごく近くから撮る。スマホなのでかなり形が歪む。だいぶかわいくなく写るのでなんだかな〜と思ってた。先日「近いよ」と言ったら「離れて撮るとちっちゃいんだもん」と言ってた。その時、正確に撮るとか魅力的なポートレートを撮るとかではなく、大きく写っている方がいいという価値判断に気付いた。エジプト美術が重要な物を大きく描いたように、母にとっては、我が子を撮影する時には画面いっぱいにたくさん写っているほうがいいのだ。自分には全く無い観点で、かつ母がその愛情の発露の仕方に自覚的ではない様子なのがすごく衝撃だった。 自身の作品において物語性を重視していない。いつもタイトルをつけられない。見たままのことを言ってしまう。
20211025
亡骸を前にみんな別れを惜しみ、しんみりとしていたが、焼き上がって骨になるや否や「あれは背骨だ」「歯があんなに残ってる」と指をさして無邪気に知識と目の前の物を付き合わせていた。顔の特権性。
20211024
服の力すげ〜!喪服、パワー出ないけど、いつもきてるジャンパー一枚羽織っただけですごく安心できる 喪服、女性ものすごく嫌〜〜げんなり…だったけどジャンパーで救われるよ
20211023
祖父の通夜後、外に出たら偶然花火が上がってた。鎮魂だ〜と思った。通夜の会場は清潔で整備されてた。祖父の家でやった納棺はなかなか妙な雰囲気で、こっちが本当なんだと思った。 祖父の葬儀。血族による弔い。納棺は本職の人が指示を出してくれるけど、実際にやるのは当人たちだ。整備された完成されたシステムで、衛生的に安全に死体を扱えるようになっている。儀式・システムの一部として手足を拭いたが、かなり硬くてやはり死体だった。父方の祖父が亡くなった時も、「眠ってるみたいだね」という常套句を聞いたが、どう見ても死体で生者とは明らかに違っていた。奇妙だった。ナンシーが共同体と死の話をしていた。初めて「血族」の概念を理解した。
20211020
人のかたちって限られてくる。ただでさえフォルムを美しいとは思えないし。バスタブという容器やワンピースなどを使って、人のかたちを変形する、理想のおおらかなかたちへ持っていく。 「インスタレーションというよりかは額装なんだね」と言っててそうかもと思った
20211011
戦争映画がやや好き。青春もの、恋愛ものが苦手。戦争映画でも英雄系はあんまり好きじゃなくて、名も無き兵士たち……みたいなのが好き。(単純に、大きすぎる暴力を見たいの欲求はある気もする。)感情の起伏が激しい映画が苦手なのかなと思ったが、戦争映画も感情の起伏はある。感情を盛り上げようとする過剰な音楽、過剰な演出についていけないのか?最近アキ・カリスマキやジム・ジャームッシュみたいなオフビートの映画を少しだけみたが、それはすごくみやすかった。先生と「藤代嘘の作品、藤代嘘というか『カオスラウンジっぽい』作品はすごく見づらい」という話をした。過剰すぎて入っていく余地がないから見づらいんじゃないかと。多分、映画や絵に限らず過剰なものが苦手な気がする。もしかしてワンショットが長い作品の方が好きなのもこのせいか。 それぞれに特異な身体に備わった/獲得した偏りが当人の口から語られるとアガる。作品にも表現しようとしたことしたかったこととは別に、「どうにもそうなってしまう」ものがあると思っている。個々人の体格が違うように、その身体に根ざした体質のようなものだと感じる。受
20211008
先生と修了展どうするか相談した。先生は、私の前期制作と個展を見て、修了展いけそうなイメージが掴めてるらしいが私は掴めてない。個展のあの感じを修了展に持っていけばいいと言われたが、個展の空間と21美の空間が違いすぎてうまくイメージできない。21美の堅牢で白い壁のイメージが、個展のイメージを接続するのを邪魔してくる。あの個展の感覚を構成する要素を分析して抽出する作業ができない。前期制作と個展は、まず作品があって空間を見てからどう置くか決まっていく。どの作品を持っていくかある程度決まらないと、空間をどう使うか決められない。でも修了展示はギリギリではダメで遅くても12月の頭にははっきりさせないといけない。作品より装置が先行すると、(うまく言えないが)「カッコよさ」で決定してしまっているような気がする。先生は、作品と空間とどっちかがメインではなく5:5の同じ比重でやっていいんじゃないかと言っているが。 空間づくりで自分がどんな要素を選んでいるのか、の話も先生とした。展示会場だけでなく、アトリエのスペースも同じ雰囲気が漂っているらしい。後輩には「潔癖で全てを
20211007
B面の仕事、特にわからないままだが交換日記をやってみる。作品になるか糧になるかどうかわからないけど種を蒔くような。適当な人に渡して、それをまた別の人に回してもらってる。「交換」日記ではないか。毎週金曜日に所定の場所に戻ってくるようにしている。1週間だとそんな遠くまでは行かないと思う。
20211006
散歩する侵略者の映画版とドラマ版みた。光と風の使い方がいい。ドラマ版の方が好きだ。半透明なものや雲の中を移動するような乗り物などCUREと散歩する侵略者で共通するものがあった。ビニールやレースカーテン越しの人のイメージが気になってつい見てしまう。
20210930
さみしい!!根底にずっとさみしさに耐えられないことがある。人に触りたいとか浸透したいとかって、さみしいってことなのか。自分がさみしさに耐えられないことが嫌だ。人を求めず何か別の方法でひとりでなんとかできるようになりたい。最近は本を読んだり散歩に出たりする。愛着不安が強い。こういうことを考えると両親を思ってしまうが、兄たちは特に問題がなさそうに見えるので、両親ではなく自分自身の問題だろう。『ぼくの地球を守って』というタイトルはすごい。主人公が地球に寄り添って眠る1巻の表紙もすごい。しっかり読んだことはないが、あのタイトルと表紙がずっとこびりついている。一時期どうしようもできない時、「誰かぼくの地球を守ってくれ!」と心で繰り返していた。でもぼくの地球は私が守ってあげないと誰にも守れないから他の人に委ねてはいけないと思いながら眠りについていた。誰かに縋りたい一方で堅牢にならなければいけないと思っている。自分自身だけで充足しなければならない。例え家族であろうと、他人が自分の生活空間にいることに強いストレスを感じるので、ずっと1人で暮らしていくしかない。.
20210928
投げ出された身体、死体で思い出したが、寝そべる人の絵も死のイメージが下敷きにある。イメージをもろにホドラーの病床のヴァレンティヌスから持ってきてる。死の床に着く人間の絵はいっぱい描かれてて、そういう絵は何となく気になる。眠っている老人もほとんど死体と見分けがつかないから描いちゃう。そういう絵を描いた人たちの描く必要があった切実さなどないまま、扱ってしまってる。 見つめ返してこない身体を描いている。見つめ返してこない身体を一方的に見つめるという点で、伝統的な裸婦画の「正統な系譜」にあると思う。何の反省も批判もなく。 でも裸婦を征服する眼差しとはやや違っている気もする。 祖母が兄に勧めたらしく、兄も作品を買ってくれた。なんで?
20210927
個展の感想もらった。「丁寧に作られた思い出の死体」とのこと。死体だ…!という印象だったらしい。ひとんちに侵入して狭い空間で死体に囲まれて死体をみるのすごく怖かったらしい。水のモチーフと投げ出された身体(こちらが一方的に見つめていて見つめ返してこない身体)だから死を強く感じたのかもって話になった。ちょうど人が入るサイズの箱、棺桶と風呂だもんねって話もした。風呂に入ってる時、身体をぐにゃぐにゃ折り曲げてぼーっと考え事しててほぼ死体って言ってた。 表面だけパッと見てきれいで繊細で癒される絵みたいに受容されてしまう……と話したところ、でも確かに女性身体を持った人間の絵だと思うと言われた。40〜60代のほぼ男性教員しかいないところで、「いや〜男だからよくわかんないな〜」がありそうな作品だと思いますと。うまく言えないけど、(美大において?)女の身体から出発した切実な作品は一定数ある。20代の女性の身体から出発した絵だ…!を人の作品からわかることはあったが、自分の作品に関しては結構無頓着だった。教授と?教授とっていうか何かと相性が悪いな〜〜は感じてたけど、「女
20210923
言葉に引っ張られすぎてるのかどうか分からないが、領域云々の前に兄の要素が強くなってきた。兄というか、兄の思い出、兄に対する感情?兄と離れ離れでいなくてよかったころへの郷愁がつのる。 めいさんの展示をみた。いろんな素材いろんならくがきがいっぱいあって、朗らかでよかった。ああいうピューっとした仕事をできるようになりたい。いろんな時にすぐにピューッと線を引けるようになりたい。
20210919
学部3年のころから、本の内容がわからなくなるたびYoutubeにアップされた福尾匠さんのレクチャー「5時間でわかるドゥルーズ『シネマ』」をみてた。今日唐突に、この動画をアップしてるのが奥さんだと気づいた。奥さんのことは全く知らないけど時々金沢の人から名前を聞くしラーメン屋で目撃した。金沢に来てから、奥さんだけでなく、この人の作品VOCA展で見たとかあの論考の人か!とかがいっぱいある。学部はアートシーンなんて存在しえない、ささやかで断絶した場所だった。今まで同時代を生きてて美術手帖で名前を見る作家名も日本史の教科書に載っていた武将の名前も私とっては全く同じ遠さの固有名詞だった。金沢に来て、今生きてる人間たちがリアルタイムでそれぞれにそれぞれの仕事をしていて、人間が実在しているという当たり前のことを知った。
20210918
即時記憶が弱いような気がする。 エピソード記憶に依っている気がする。2020年の前期、オンライン授業が行われていた時期、ある話題がいつ誰がどんな話の流れで言っていたのかうまく整理できなくなった。今まで話の内容を、内容だけでなく場所や時間や相手などで記憶してたのだと実感した。 展示、ナーバス!!9月に入ってからずっと展示が不安だったが、会期が始まると、準備中とは別の不安でいっぱい。みた人全員がいいと思う展示なんてないが、こちらの手つきのたどたどしさ、詰めの甘さで、いいと思われる可能性を最大限あげていけないのは良くない。あと、この展示が終わった後もまた作品を作れるのか突然わからなくなった。怖い。
20210917
先生からアートドキュメンテーションという言葉を教えてもらった。あなたの一連の制作はアートプロジェクトではなくアートドキュメンテーションっぽいねと言われた。自己や外界との関わり方を制作によって確認し認知し整理している? 林道郎がなんかの雑談で「絵画にはペインタリーなものとプリンタリーなものがあるよね」と言っていたらしい(又聞き)。clubhouseで言ってたっぽい?まだちゃんとした形で出てないし、今後出るかも謎。先生がこの「プリンタリーなもの」について無根拠文書を書いたらしい。 金沢だとペインティングとドローイングという言葉をかなり強い意図を持って使い分けている気がする。長岡が無頓着すぎるのか、金沢ローカルな感覚なのかはよくわからない。私の絵は絶対にドローイングと言われる。先生はそれがドローイングではなくプリンタリーという言葉じゃないのかと言っていた。「うちの研究室の学生たちは絵画を描いていたというより絵を描いていたね」と言っていたのが印象的だった。「版画はペインタリーではないからね」とも言っていた。版画の、版画のというか版画インクの、非物質性の話
20210916
非物質性と素材が透明化することは違うこと。
20210906
二人展で同級生が、白地でモチーフをど真ん中に配置する構図はモチーフに関する言説が重要になってくると指摘されたらしい。画面構成の要素を削ぎ落とし、絵画の悦び、観る側のフックを減らしてるから、その分モチーフの持つ意味が強くなる。
20210905
先生は論文に関して「還元」という言葉を用いたが、私は「贈り物」だと思った。
20210904
ものをよく落とすのは握力が弱いせいだと思ってた。握力は30kgくらいある。女性としては充分だろう。身体のコントロールだけではなく情報処理能力が関係しているかもしれない。ものを持つこと、話しかけられて応えること、目から入った情報を処理すること、同時に起こるとものを落としがち。考え事をしながらものを掴むとよく落とす。1人で運転していると問題ないのに、同乗者がいて話しかけられると途端に危険な運転が増える。 身体のコントロールも、これはこれで苦手っぽい。幼い頃は身体が小さかったから運動が苦手だったが、身長が伸びるにつれ、人並みに走ったり跳んだりができるようになった。それでも球技など道具を扱うスポーツはずっとできないままだ。 日々の中で兄の言葉を守っている。アドバイスとか教えとかではなくTipsという言葉が1番しっくりくる。ボールペンは青、銀を吸入すると脳が収縮する、何もない日でもパジャマから着替える、髪はすぐ乾かす、食後30分は勉強しない、英語は寝る前にやる。兄は効率厨な人だから、弛まぬ努力を土台に、1番効率的に結果を出すための微調整をたくさんしていた。
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