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20221231
ここ3日はひたすらアバターをいじりたおした。1ヶ月の労働時間で見るとかなり少ないが、日数で見ると完全に1日オフというのが月に2日か3日となっている。こちらでは元日というのがあまり重要な日ではないっぽく、端午の節句とか冬至くらいの感覚がする。明日からまた仕事が始まるっぽいので、この3日は仕事と勉強はしね~と決めたわけ。ひらひらの服を作るのに、PhysBoneかUnityのClothどっちでやろうか迷って、とりあえずClothを触ってみた。1日がかりでプロトタイプを作ったところ、シャツをClothでやるのは無茶がすぎるとわかったので、手数・根気・時間でゴリ押しのPhysBoneでやる。タイトな袖なら楽にできるのだが、袖は大きければ大きいほどかわいいと思っているので、仕方がない。 ビルやホテルの電光掲示板も新年仕様かなと思って眺めたら、クリスマス仕様だった。ネット広告もまだクリスマスのものが時折出るし、ゆっる~でちょっと笑える。正月とクリスマスのこの気合のなさはイスラム圏だからなのかなと思う反面、日本は季節行事に気合入りすぎだとも思う。企業の季節イベン
20221230
人間どもはさ、身一つで放り出されたら直線すら引けないくせに…と思うと、生きてることが虚しくなってくる。植物から繊維を取って糸を作るとこから我々の直線が始まるんだよ。
20221229
服装の中で靴が一番その人の属性が読みやすい部分だなと思う。大学生の自主制作映画で、上半身だけだと母親役に見えるのに、全身映ると靴で大学生っぽさを感じることなどある。靴は服ほど数持たないしな。私も1足のスニーカーを1.2年履きつぶすというやり方をしているので、あからさまに貧乏学生の雰囲気だ。今も履き倒したスニーカー1足でやっているため、帰国のタイミングで新調したほうがいい。なかなか気に入ってたものなので履きつぶしてしまって悲しい…。本当はもっと大事に長く使いたいのにね。靴でなくとも大抵のものがそうだが、最低でも3つは持っていてローテーションで使っていくほうが長持ちするとは分かっているが、金銭面と脳の容量的にそれができない。毎朝家を出るときにどの靴を履くかということにかかずらってなどいられない。靴だけでなく服なども、コーディネートを考えている余裕があるなら、その分を別のところに充てておきたい。下を黒のズボンで固定しておけば上は何を着ても何とかなるので、クローゼットを開けて一番手前にあるものを取って着る。容量を無駄に圧迫することなく社会性もギリギリ保て
20221228
夢にスヌープドッグが出てきた。スヌープドッグの曲は一曲も知らないが。異国の音楽に興味なくて一曲も聞いたことない人間が名前を知っているっていうのはすごいよな。見た目は上品なんだけど話すと血の気の多いなかなかムカつくしかし何か憎めない老婆が、スヌープドッグをはべらせてた。なんか久しぶりにいい夢見たような気分になってラッキー。 またイラスト描けるようになりて~の時期が来た。人には、あなたのイラスト描けるようになりて~はスノボできたらかっけ~ということだよねと言われた。イラストを描くって、自分にとって数独とかルービックキューブとかなんか手を動かしてる気分になれて時間が潰せて気持ちいいの最上位というか、そういう手遊びの中でもぶっちぎりで難しいし時間がかかるからかなり時間が潰せる。イラスト描けるようになりて~は、要するにとても退屈なので時間を潰したいということだろう。だから私が今やるべきことは、イラストを描くことではなく読書と勉強なんだな。
20221227
したいこととすべきことがあって、したいようにしたら良くないことが起こるという恐怖があるから、すべきことを軸にコミュニケーションをとってしまう時がある。そうすると顔色を伺うような怯えた態度になるので、こちらも相手ももう最悪な感じになってしまう。どうすべきかを考えずにどうしたいかでコミュニケーションが取れるのはすごく楽しい。ただ、その楽しさは、相手にコストを押し付けているからではないかという不安もある。したいことをしたいようにしてもいい人間は、性根が正しい人間なので、性根が間違っている人間がしたいようにすればいつかは崩壊する。したいことすべきこと、何事も結局はバランス、いい塩梅なんだよな。 人と話をしたくなっても、特に面白い話題も無いし手ぶらで行くのも申し訳ないなと思ってやめておくことが多い。でも友人との会話って、そういう、美しい茶器を持参して見せることではなく、一緒に粘土遊びをするようなものなんだと思う。コミュニケーションって情報伝達ゲームじゃなく、分有が起こってはじめて分有されるものや分有する者が存在するようなものなんだよな。これを井筒は竹の節、
20221226
理想のかたちがある。色、質感、形、全てだけど、特にシルエットを重視している気がする。理想のかたちは食器、家具、衣類、小物、乗り物などいろんなところにある。誰にでもあると思う。そうでないとものを選べない。理想のイメージが明快なものと薄らぼんやりしているもの、こだわりたいものこだわらなくていいものなど様々なマトリクスがある。私の中で一番イメージが明快なものがワンピースだった。ワンピースなんて小学校にあがって以来一度も着ていないし特に着たいとも思ってないのに、理想のシルエットは強くある。服飾は工芸の中で最も現代化に成功し、高級と大衆の対立構図への煩悶がないジャンルだと感じるため、とにかく眺めているのが楽しい。自身が使うか使わないか関係なく、ただ目にしておきたいシルエットがあった。ソファやアクセサリーや食器は、既に存在するプロダクトの美しさに自身のイメージが追いつくことはない。提示されて初めて気に入るか気に入らないか判断ができる。ワンピースだけは、イメージがやけに先行してる。ここは布も仕立て代も異様に安いので、そこらの既製品よりも安価に服が作れてしまう。
20221225
ひたすら自分の内面を触り続けるかつ人に見せるものだと、自罰と自虐に偏っていく。あらかじめ自分で痛めつけておくのでこれ以上痛めつけないでください、許してくださいという小狡い防御なのだろうな。日記の厳密な定義というものはないし、形式への制約の薄さこそが日記の持つ特性でもあるけど、今の日記の書き方はあまりにも制約が無さすぎる。2021年の日記は一応制作に関係するものという縛りがあった。多分、日記ってその日の出来事や感想を書くのだろうけれども、あまりに感想に偏りすぎている。その感想というのが、その日にあったことへの感想や他の日ではなくこの日に固有に結び付いて意味のあるものではなく、究極日付がいつであろうと全く問題ない感想ばかりになっている。その時思いついたことをメモしておいたものだ。わざわざタイトルをつけるものでもなし、とりあえず日付で管理しているから日記の体裁になるだけだ。一日の終わりのほうでその日を振り返って書いているわけでなく、思いついたその時に書いているから、ものによっては朝ごはんの間に思ったことを、書いて、途中で歯を磨いて、また書くみたいな。と
20221220
ひまだからいらんことが頭の中を占めているので、読書・映画・勉強・音楽・運動・暗記などあの手この手で気を逸らしている。なんだかんだで暗記が一番頭の中の余計なあれやこれやが忘れられて時間を潰せる。人間関係をあちらこちらでおしまいにしてしまい、いつの間にか母もエジプトへ経ったようで、非常にさみしい。初めて日本に帰りたくなった。なんかもう錯乱しきっているので、幼稚園への報告、家庭教師の引継ぎ先探し、荷造りの算段、PCのバックアップ、チケットの値段、時差ボケ対策、携帯のSIM、成田周辺のスーパー銭湯、電車の経路、実家に置いている荷物の整理、などなどの妄想が大暴走している。特殊な状況のせいで時給がなんだかおかしいことになっており、充分な自由時間とそれに釣り合わない収入を得ている。のでこっちにいられる限界までいて、帰国から就職の期間はできるだけ短いほうが良い。それはわかっているんだけど、結婚の話が絡むともうややこしい。なんかもう、お金が貯まらないことには帰国ができないが、それで帰国を延ばせば延ばすほど不安は増え結婚の話はおしまい!になる。なんつ~か、直接会って
20221219
高校のころの友人によく、君は善悪の区別のついていない赤ちゃんかそうじゃなかったらヒトラーだよと言われた。軽口をたたきあうしかしていなかったからそういう冗談として笑っていたが、最近はもう笑っている場合ではなくなってきた。自分自身でも、法とかルールとかがない状態に置かれたらなんでもできてしまうのではないかというのが怖い。まさに万人の万人に対する闘争を体現しているような人間だよ。人としてのあるべき倫理というものがない。別のところでも獣の世界で生きていればいいんじゃないかと言われたし、やはり人の倫理を持たない動物状態なんだろうな。今まで、一番最悪の状態からだったから、盗みと殺しをしない、犯罪行為をしていないので良いだろうということにして誤魔化していたが、それは良い人間や普通の人間の条件ではなく、獣ではないの条件でしかないらしい。良い人間は、良い人間であるためにそれなりのコストを払ってきちんと努力をしているわけだから、犯罪行為はしていないので…で誤魔化していてはいけないのだろうな。 シールが欲しい。シールをいろんなところにペタペタ張りたい。小さいころからず
20221218
北関東はヤンキーみたいな口調、というのは聞いていたし、兄が二人いたから、言葉遣いがあらいなとは思っていた。新潟は、新潟はというか下越は名詞のイントネーションが異なっている以外は特段違いを感じていなかった。免許合宿は北関東で行ったのだが、その時になんだか言葉があらくて、地元だということを実感した。名詞のイントネーション以外にも違いがあって、もしかしたら周りの同級生も私が感じていたのと同様に、別の土地の言葉であることを感じていたかもしれないと思った。金沢はだいぶ関西の言葉に近くて、学内は西日本出身の人が多かったから、関東の言葉を喋っている者はこの土地の人間ではない者という感じがした。その土地の者ではないので当たり前だが。自分の中の関東関西の境目のイメージが結構アバウトで、地図やフォッサマグナや川の名前の分布などを確認すると、金沢は関西だなということが明白だ。新潟の上越、中越、下越という名称が北から下っていなくて、北陸は京都を中心とする文化圏なんだなということを知った。 北関東出身北陸居住なのに何故北関東で自動車免許合宿なのかというと、免許をとれそうな
20221217
いいなと感じる曲はギターが入っていないか、あっても控えめなことが多い。そもそも構成としてギターが入りえないジャンルを好んでいるようだし、バンドの曲ならベースが強いほうが好きだ。ギターやヴァイオリンの音質を軽薄に感じる。音質の好みの話。あんまり、美なるものという感じを受けなくてわからない。 ナンシーの言ってる<絶対者>を今まで、無限の閉域としての個人、ライプニッツのモナド、人間存在のレベルでの個人というふうに解釈してきた。実際きちんと読めばこの解釈で問題ないと思う。でも朝起きて突然、この<絶対者>は、目的なく存在する、存在のためだけに存在する、存在の無限遡行に終止符を打つ絶対他者としての神のニュアンスも含んでいるんだなと気づいた。 社会と非常に折り合いが悪いタイプではあるのだけれども、実は私はかなり人間が好き側の人間だと思う。人間の営み、文明、文化をかなり愛していると思う。大学に、しかも文系分野に(芸術系が文系なのかはよくわからないが)進学する人間は大概人間が好き側にいないとおかしいのだが。
20221216
フィクションに関する記憶力が異様に悪い。忘れないように映画の感想を書き留めておこうとしたが、文章にする端から嘘らしくなっていく様に耐えられない。音声として録音するのはややできそう。ずっと前は、日記類も同じようにできなかったけど、もう完全に麻痺してるんだな。PCの文字だから読めてしまうけど、手書きの文字だったら読めたものではない。でも映画の感想話したいよ~。録音しとけ録音。
20221215
飛行機が低いところを飛んでる。さみしくて退屈なわけだが、人間関係…めそめそ………が概ね薄れてきた。大学や院では、さみしい!!は常にあったけど、人間関係めそめそ…は無かった気がする。忘れているだけか。自己開示をほとんどしなくても、雰囲気に合わせて時々笑ったり頷いたりしていれば色んなことが結構大丈夫だった気がする。大学で自分の話をするということは、作品の話をすること、どんな問題系の末端にいるかを明らかにすることだった。作品の話は自分の話そのものではあるのだけれども、そこ以外のどこにも触れさせないし触れていかなくていい。友人にめそめその話をしたところで特に良いことは起こらないとわかっていたから、しなかった。VRCではなぜかするする話してしまう。やめといたほうがいいとわかっているのに、抑えがきかない。生身の身体が目の前にないからだろうか。私の肉体も相手の肉体もなく、ミラーに映るアバターを見てる。他者の肉体が不在でひたすら私の眼だけが見つめ返してくる。私は徹底して身体の人間、物質の人間なんですよね。 Discordもそうなのだけれども、目の前にいない人の存
20221212
人と話さないと、安全で退屈でさみしいので日記の文量が増える。おそらく一生満たされない実存不安からくるさみしさと、退屈に耐えられないことからくるさみしさがあるが、後者のさみしさだ。退屈からくるさみしさは一種娯楽品なので、恥ずかしくて情けなさがある。多分料理を作るなり勉強をするなりして時間をつぶしたら良い。 米を土鍋で炊くしかないのだが、今のとこまずまずの勝率だ。かなり上手におこげもできてるが、おこげが加点要素なのが理解できない。おこげ単体で食べたら悪くはないのかもしれないが、炊いた米の中に硬さの違う部分が混ざってると、感覚的にはおいしくない側に傾く。高温パートを減らして、低温・蒸らしパートを長めにとると、硬めに炊けてかつおこげができずにいい具合になる。 「わかってほしい」は、今までのわかってもらえなかった・伝わらなかったからくるものなんでしょうね。生来の気質と家庭環境から、気のせいとかではなく多分人よりわかってもらえなかったが多い気がする。いや気のせいか。人は自分を一番不幸だと思うからな。家族や同級生に全然通じなくて本当にさみしかった。誤解されるこ
20221211
早朝から幼稚園の運動会で、昨日の砂漠も後を引いて体がバキバキになっている。右の大殿筋が痛い。偏り。幼稚園に行った後は、カラカラになっててすごく疲れててハイになってる。吸い取られる。め~ちゃ苦手な仕事です。うわ~!!人と話したい!甘えたい!!の時は、たいていこの仕事終わりの疲れてハイになってるときで、ソファでビタッとくっついて座って無意味に名前を呼びたい。お兄ちゃんがピクミンをやっているのを見ていたい。名前を呼んでもらえること、名前を呼んで応答してもらえること、世界が、他者が私の呼びかけに応じてくれること、人間の健全な発達に必要なことだよ。世界が信頼できるものだと知るために必要なことだよ。未来は死んだ。
20221210
はじめて砂漠に行った。道中は自生する草、最低限の電線、砂漠、そのど真ん中に敷かれたアスファルトなので、アメリカ映画に出てくる荒野を思い出した。 基本的に常に快晴で、空に雲のある日なんてないのだけれども、今日は珍しく曇っていた。異常に色彩の幅がなく高さもない場所で、天使の梯子が降りてて、雲が螺鈿の色をして太陽を縁取っていて、超常的力、神を感じてしまう感覚がうっすらわかった。過酷な土地だと即座に意思決定を下せないといけないから一神教が成立・発達する、というのはその通りなのだと思う。ただ、それ以前に理性を越えて脳をダイレクトに焼き切るように神の力をわからせられるんだなと思った。日本だと神々しい空でも山の向こうに見えるなどで、隔てられたはるけき彼方にあるという感覚なのだが、砂漠は開けきっていて、このすぐ真上、頭上にあるという感覚がすごい。色彩も材料も乏しい場所だから、人間の作れる美しいものなんて限られてるだろうに、あんなものを見てしまったら、そりゃ神を異常な強度で信じちゃうよ。 砂漠はツアーが組まれていたわけだが、タンヌーラダンスがかなり良かった。頭から
20221209
人に見せる文章と見せない文章は違うから、この日記は人に見せないということで書き始めたわけだけれども、結局人が見られる場所に出してしまった。基本的に人間は「わかってほしい」と「俺を見ろ」なので、欲望に負けた。研究室で展示を見に行った帰りの車の中で流れてた『わかってほしい』がずっとリフレインし続けているし、もう未来永劫こうなんだな。 他者の視線がある、なくても他者の視線があると思われると、文は、文はというか全ては変わっていく。コミュニケーションが他者によって変質することそのものなのだから当然だし仕方ないのだけれども。他人が見るものだと人に見せない文章よりもなぜか口語に近づく。語りかけになるのだろうか。自分にとっては自明のことで省略してたことも書こうとするからぐんぐん文量が増える。単線的に文を書いたり思考したりする訓練をしていないから、石鹸を泡立てるようにいろんな方向に散らばる。単線的にしか進まない行のある形式、デジタル媒体の文章は大体この形式、は結構奇妙だ。 まるで不特定多数の他者が見うるように書いているけど、あなたしか見ていない想定なんですよね。気
20221206
母の察してコミュニケーション結構苦手かもしれないと思った。「こういう不具合があって私はこう思うからあなたにこうしてほしい」ではなく「私はこういう風にするんだよね(あなたもそうしたほうがいいんじゃないの)」という言い方をする。実家を出た後、再び一緒に住んでから気づいた。幼稚園の子供を見てて、家で家族がこういう話し方をするんだろうな~が端々に見えるので、私もそら両親のコミュニケーションの形がインストールされてるかと思った。大学時代に察してコミュニケーションが一切通用しない人間と話し続けて、要求があったら全部言うスタイルをやり続けたので、かなり自覚的になってきた。 母は察してコミュニケーションをやる割に、他人のことを察するのはだいぶ鈍い感じがする。 私は兄のやりたいこと言いたいことがすぐに伝わる。それは鈍いとか鋭いとかではなく、兄のことをずっといっぱい見てたからかもしれない。 街中で見る人はたいてい東南アジア・南アジア・アフリカ系が多い。暑い中歩いている人や、スーパーの従業員、清掃員、タクシードライバーなど。美術館や何かのフェアやスポーツ観戦などに行く
20221205
https://tfukuo.com/ 福尾くん…LOVEだ……… こうした回路の繋がり方に美しさを感じると泣いてしまう。悲しさや恐怖の涙はわかるからいいけど、美しさに感極まって泣いてしまうのは怖くて慣れない。完全にわけわかんない情動がどこからともなく沸き上がってくる。理がない。どことも繋がってない、突如現れた謎の力で感情が大きく動くのがわけわかんなくて怖すぎる。 人のことをいっぱい考えるとき、百人一首とか歌詞とかが引用されてしまう。詩はそういう力があるからすぐ絡めとられちゃって危ない。ここにいると日本の人と時刻確認する機会が増える。「東京は夜の7時」じゃんと思うこともあるが、たいてい東京ではないか7時ではないので、別に「東京は夜の7時」ではない。
20221203
初期で表示されていたコメントやいいねの表示の消し方がわかった。日記を公開するのに応答性があってはいけない。他人の反応が入りうる可能性を抱えたまま日記を書くと純粋性が濁る。公開してしまって、他人が読める状態にした時点でもう日記ではなくなってしまったわけだが。 実家の犬の散歩に行ってからずっと犬を飼う想像をしている。犬はマズルが長くて、マズルが長いなら毛が短いほうが好きだ。でもでっかい犬が一番良くて、でっかいならむくむくしてたほうがいいのでマズルは諦めることになる。グレートピレニーズがいい。毎日2時間散歩をする。ただ、命に責任が持てないことが恐ろしいし、動物を飼うと家を衛生的に保てないのが嫌なので絶対に飼うことはない。犬は飼いたくないけど散歩がしたい。老いてパワーのない犬との散歩はとても気持ちよかった。多分犬と散歩したいんじゃなく、自分のリードにきっちりしたがって一緒に歩いてほしいだけなんだと思う。大抵の欲望はグロい
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