20221210
はじめて砂漠に行った。道中は自生する草、最低限の電線、砂漠、そのど真ん中に敷かれたアスファルトなので、アメリカ映画に出てくる荒野を思い出した。
基本的に常に快晴で、空に雲のある日なんてないのだけれども、今日は珍しく曇っていた。異常に色彩の幅がなく高さもない場所で、天使の梯子が降りてて、雲が螺鈿の色をして太陽を縁取っていて、超常的力、神を感じてしまう感覚がうっすらわかった。過酷な土地だと即座に意思決定を下せないといけないから一神教が成立・発達する、というのはその通りなのだと思う。ただ、それ以前に理性を越えて脳をダイレクトに焼き切るように神の力をわからせられるんだなと思った。日本だと神々しい空でも山の向こうに見えるなどで、隔てられたはるけき彼方にあるという感覚なのだが、砂漠は開けきっていて、このすぐ真上、頭上にあるという感覚がすごい。色彩も材料も乏しい場所だから、人間の作れる美しいものなんて限られてるだろうに、あんなものを見てしまったら、そりゃ神を異常な強度で信じちゃうよ。
砂漠はツアーが組まれていたわけだが、タンヌーラダンスがかなり良かった。頭からつま先までスパンコールに覆われた官能的な身体が回転し続ける。素人と違ってダンサーは回転するときに視線を固定してるから、等速で動き続ける身体と異なって、頭は固定されていて、一瞬だけ翻る。回り続けるうちにトリップ状態のような恍惚とした表情になって、恍惚とした横顔が目に焼き付く。舞踊は神への捧げものなんだ。踊りによってトランス状態に入っていき、それを見る鑑賞者も共振してトランス状態へと巻き込まれていく。ベリーダンスのほうは最初はあまり興味をひかれなかった。それは観客にみせるためのものであり、ショーだったから。観客を舞台にあげて、2人で向き合って踊っているときはすごくよかった。熱を他者と共有しあうこと。
タンヌーラダンスは電飾が仕込んであったようで、途中で光った。光るなよ。同時代のテクノロジーを持ち込まれるとエンタメに寄って神事の側面が削がれる気がしてしまうのだろうな。でも、もし踊りが成立した太古に電飾があったら、絶対光らせてたはず。でも電飾で光らないでくれ。
多くの人間をトランス状態にして手っ取り早く神の存在を脳の回路に作るにはやっぱり音ですわ。覇権宗教は音の力を理解してちゃんと使っている印象がある。キリスト教というか西洋世界の、こいつらすっげ~…こっわ~…を感じるのは、ここを理解してて、効果的な音響装置としてバキバキに宗教建築を設計しているところ。