20221206
母の察してコミュニケーション結構苦手かもしれないと思った。「こういう不具合があって私はこう思うからあなたにこうしてほしい」ではなく「私はこういう風にするんだよね(あなたもそうしたほうがいいんじゃないの)」という言い方をする。実家を出た後、再び一緒に住んでから気づいた。幼稚園の子供を見てて、家で家族がこういう話し方をするんだろうな~が端々に見えるので、私もそら両親のコミュニケーションの形がインストールされてるかと思った。大学時代に察してコミュニケーションが一切通用しない人間と話し続けて、要求があったら全部言うスタイルをやり続けたので、かなり自覚的になってきた。
母は察してコミュニケーションをやる割に、他人のことを察するのはだいぶ鈍い感じがする。
私は兄のやりたいこと言いたいことがすぐに伝わる。それは鈍いとか鋭いとかではなく、兄のことをずっといっぱい見てたからかもしれない。
街中で見る人はたいてい東南アジア・南アジア・アフリカ系が多い。暑い中歩いている人や、スーパーの従業員、清掃員、タクシードライバーなど。美術館や何かのフェアやスポーツ観戦などに行くと街中ではそれほど見かけないヨーロッパ系がどこにこんなにいるんだってほどいる。7割ヨーロッパ系、3割中東系、わずかに東アジア系…という感じ。う~世界経済の縮図…を感じてしまって、楽しいおでかけのなかにえぐみを感じてしまう。
基本的には両手をあけておきたいので、鍵、お金、携帯、ハンカチをポケットにつっこんで手ぶらで外出する。ただ、日傘の力を思い知って最近は日傘を使っている。絶対に片手がふさがるのでストレスなのだが、あの暑さと痛さには勝てない。美しい装いは機能とトレードオフなので、労働階級の装いではない。ハイヒールやロングスカートなんて自分で荷物を持って外を歩く人間のためのものではないよ。社会的なマナーになってるのほんとさぁ…とも思うが、一方的に上から押し付けられたものでもないよなとも思う。ドゥルーズだかデリダだかが、権力は一方向性のものではなく被支配側も権力支配を欲動している、みたいなことを言っててそれがかなり好き。本当にそうだから。ブルジョアジーの貴族階級への憧れ、高級趣味みたいなものを感じる。現代は誰でもお金さえあれば階級に関係なく何でも手に入れられるから、それが無理なく管理可能か否かみたいなところがすっ飛ばされている。ご家庭では洗えない服とか革製品とかこまめな手入れが必要な食器とか。