20211008
先生と修了展どうするか相談した。先生は、私の前期制作と個展を見て、修了展いけそうなイメージが掴めてるらしいが私は掴めてない。個展のあの感じを修了展に持っていけばいいと言われたが、個展の空間と21美の空間が違いすぎてうまくイメージできない。21美の堅牢で白い壁のイメージが、個展のイメージを接続するのを邪魔してくる。あの個展の感覚を構成する要素を分析して抽出する作業ができない。前期制作と個展は、まず作品があって空間を見てからどう置くか決まっていく。どの作品を持っていくかある程度決まらないと、空間をどう使うか決められない。でも修了展示はギリギリではダメで遅くても12月の頭にははっきりさせないといけない。作品より装置が先行すると、(うまく言えないが)「カッコよさ」で決定してしまっているような気がする。先生は、作品と空間とどっちかがメインではなく5:5の同じ比重でやっていいんじゃないかと言っているが。
空間づくりで自分がどんな要素を選んでいるのか、の話も先生とした。展示会場だけでなく、アトリエのスペースも同じ雰囲気が漂っているらしい。後輩には「潔癖で全てをコントロールしようとしているような」と言われた。アトリエのスペースは自分のアパートと近い感覚で使っているから、自室も多分似ている。テーマとかコンセプトの前に身に染み付いた空間の使い方が出る。自分のアパートの部屋の整え方は、実家に似ていると思う。友人のアパートと実家の両方に遊びに行ったことがあるが、やはり空間の雰囲気が似ていた。
母や兄はあまりものを持たない人だから、母にはものが多いと言われるが、同級生に比べてもそう変わらないか少ないくらいだと思う。実家は常に片付いていた。白い壁紙と木材の色で、カーテンはなくて白いブラインドがあって、ソファやカーペットもモノトーンだった。白とグレーと木の色で構成された家だった。食器も全部白かグレーでつるりとしていた。コップは透明なガラスのコップだけだった。料理の本などで色や柄のついた食器の存在は知っていたが、実際に日常で使う人がいることを想像できなかった。食卓の花や置き物や家族の写真や子どもが描いた絵などが一切ない家だった。机や椅子や鍋などは、こだわって選ばれたきれいなものだったが、機能的でない美しいものがない家だった。今思い出すと、教室に似ていたかもしれない。同級生のアパートへ遊びに行った時、壁に飾られたポストカードや布、カップ、クッションなど装飾的なものがたくさんあって、豊かだと感じた。私は未だにああいう装飾的で美しいものを選べない。アパート、アトリエ、展示空間で白くてつるりとしていて、透明感があるものを選ぶのは、実家の空間の影響も強い。
今回の個展の準備期間中、ずっと岡田拓郎の『ノスタルジア』を聴いていた。このイメージのもと空間を作った。