~20240728
更新日:2024年8月3日
民法と刑法をやろうかなと思ったが、ちょうどよいテキストがわからない。調べると「司法試験合格にはこれ!」みたいなおすすめばかり出るが、そうじゃない。ガチガチに試験勉強用のじゃなく、へ~社会ってこうなってるんだ~、くらいの、中高生向けに書かれてるのが読みたいんだよ。ある国のある時代の食事について知りたいな~程度の興味にちょっと答えてくれるような、とっつきやすいやつ。でっかい本屋行ってパラパラ見るか、法学部がある大学の図書館行ってどんなのがあるのか見るのがいいのかな。
やることがないとすぐに眠くなって、死…死…になる。鏡の前で身だしなみを整える高校生の脇をふらふらと通り抜け、トイレで仮眠をとる。
私が子どもの頃に受けてずっとそのままにしていた傷に響いてくるような作品を読むと、癒されると共に、解凍されるわけだから非常に傷んで不安定になる。でもそれがぼちぼちわかってきたので、そういう作品に触れるときには枕元にボーボボとあそびあそばせを置いておき、間髪入れずに読む。大人になるとはこういうことや!
昔からノートを取るのがめちゃくちゃ下手だった。無地のクロッキー帳をお絵描きと板書とるのと両方に使ってたが、なんか、文字が無重力空間かってくらいそこら中にいろんな向きで散っていて、ノートとして用を成していなかった。適当な裏紙にバーッと書いてガンガン捨ててくスタイルが一番ましだった気がする。最近はS5サイズで5mm方眼のノートが結構いい感じだ。罫線に収めなければいけないと考えなくて良いが、ガイドラインがあるのでまっすぐ文を書ける。持ち歩く必要のある文章はノートに、持ち歩かなくていい文章は裏紙に書くスタイルに落ち着いている。
木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか、読んでいる。結局、今回はボーボボとあそびあそばせではなく、これが効いた。普通に文章が面白くてなんの引っ掛かりもなくスルスル読めてしまうな。繋ぎがうまい。先週あたりの日記で野蛮の話をした気がするが、この本、ずっと野蛮すぎる。全然知らない世界が広がっている…。100年前程度でこの野蛮の隔たりがあるなら、武士の時代とか、もう想像しているより遥かに野蛮なんだろうな。というか現代が異様なスピードでクリーンになっているのか?ドラマなどの影響で、ついつい現代のフレームで考えてしまうけど、もう全く違うんだよな。ここの質感をうまく捉えた作品、好きだ。物語に対して、隔たりと共通点とを同時に求めている。
自分より能力が高くかつ劣等感がないもしくはポイントが違う人とよく話していると、事実を事実として話せて楽なんだけど、これをこのまま他所でやると自慢になってしまうことがある。実際、全く自慢と思っていないただの事実の時と、心の底の虚栄心が漏れ出て自慢したくなる時があるから、それが余計に話を悪くしている。仕事の人たち、すごく意識的に謙遜というかやり過ぎなくらい卑下していて時折面倒だ。でも職場の人間とやっていくにはそういうことをした方が安全なのかもしれない。わからないが。
周りの人を「変」と言いまくる人がいて、ビビる。変と言われている人のことを私は変だと思ったことがなかったから、このくらいでも変と言われてしまうのかとびっくりするよ。厳しすぎる。考え事する時に目を閉じる癖があるとか、言うことが単刀直入とか、用事中の人に話しかけられないとか、厳しすぎる。この程度でこんな言われるなら、自分は裏で相当ボコボコに言われてるんだろうなと察しがつく。人に対して変って思うことないな。パン屋で買ったチョココロネを直に尻ポケット突っ込んで滑り台を滑る日課があります、とか言われたら、どうしようってなるかも。「変」が別の言葉や感情に置き換わっている。「変」じゃなく「どうしよう」って思う。相手の様態への形容ではなく、自身の感情の動きか。「変」が「どうしよう」とか「奇妙」とか「様子がおかしい」に置き換わっているだけで同じことを言ってはいるので詭弁かもしれないが、やっぱり語彙として人間に対して「変」は出てこない。「変」という人の中に「変」であることへの強い忌避感と普通であらねばならない強迫観念が強いのか、私が「変」に対して敏感なのか、どちらもなのだろう。興味の具合が文章量でわかる。小さい頃からずっと均質化できないことへ対して否定的に「変」と言われ続けたので、とても嫌だ。変ではない。人間間には差異があり全ての人間はそれぞれに異なっていて、差異の程度こそあれ、私は変ではない。全ての人間が固有にすべからくおかしいだけのはずだ。