~20260607
いろんなうおおにいろんな理由づけが可能だが、やはり世界・外部に対する信頼の低さがある。そういうストーリーを採用している。逆に、世界に対して非常に無防備な部分もある。この世界を信頼していないこと、無防備なこと、人の心が無いと言われるような振る舞いをすること、このあたりは大体、自分を無価値だと思っていることの裏表な気がする。価値がないから世界から恐ろしいことをされても仕方ないかもしれないし、何も奪えるものが残ってないからもはや棄損されることがないし、私如きのすることで何も影響を与え得ないと思ってるのだろうな。無防備さについてはぬくぬく温室育ちでずっと割と優しい世界で生きてきたからのほうが強いか。私が致命的に影響を与えうる人間はこの世界にただ一人だけ存在はしている。価値が無くて影響を及ぼす力が無いというのはおそらく間違っていて、私のすることでも何らかの影響は存在することを実感を持って理解しなければいけない。自身が責任を引き受ける主体であるということが理解できてないんだろうな。というか、問題は価値があろうとなかろうと関係なく私は存在するし、していて良いの受け入れができない部分なのか?しかし理念としてはそうなのだけれども、実際問題、エディントンへようこそのホームレスのような、街中を徘徊して支離滅裂なこと叫び鏡の中の幻影に怒る会話のできない気の触れた膂力のある老人を、どれだけの人間が隣人として愛することができるのか。存在していていいことと、存在しているだけで愛されること、愛される人間になるための努力を放棄することなどはまたそれぞれ別レイヤーの話になってくるので、存在しているだけでOKというのは、そこまで救いになるかわからない。
労働が苦しいです、労働に馴染めない己と折り合いがつかなくて苦しいです、ASDやめたいですを言うだけでこの文量?
ガバキック、ガバのキックでガバキック。この名前の話好きなんだよな。音楽用語としてのキックと、バウンサーにお前はガバじゃないから入れないよって空間からキックされたダブルミーニング。
真偽はともかく、名付けとその名付けにまつわる神話の話、好きなんだよな。その神話が由来としてそれらしく聞こえるということ、それが選択されたという意図、人々に望まれ記憶されるということ。芸術学の講義で、教授がダダの話の時にその話をしてて、ダダという名付けのエピソードのその真偽はともかく、その偶然性はダダという運動の内容を象徴するエピソードそのものという話。芸術学は集中講義で、夏の数日しかその教授の講義は受けられなかったけど、その先生の話すことがすごく好きだったんだよな。しばしば本当に美しい言葉で話していて、そういう言葉は往々にして借り物めいて空虚に響くものだけれども、その人の言葉は日々の思考から自然にあふれる、その人の身体に馴染んだ言葉で、嘘っぽいところが全くなくて、本当に美しかった。人生で時々、そういうその人間が本当に本心からそう思っている美しさが零れるような言葉に触れる瞬間があって、あまりの美しさに驚く。
エディントンへようこそ、観てて非常に疲れる。なんかずっとヒステリックだ。途中でボーはおそれているもエディントンへようこそもアリ・アスターかと気付いた。ミッドサマーはそこまで疲れずに観れたんだよな。劇場で観たからなのかな。
途中まで脱落するかも…だったが、真ん中のことの起こり、転換点から事態が動き始めて観やすくなった。決定的に事が起こる手前のじっとりとした下準備に耐えるのが苦手なんだな。事が起こってからは、あぁ確かにアリ・アスターだなと感じる。追われる者の構図。追う者が何かわからず、うわっうわって感じで逃げるのとか。途中まで、途中までというか1時間半くらいまで、もう脱落するかも…だったが、ラストはみといてよかった。ミッドサマーもそうだったけど、ラストでなんかいい感じにするのがうまい。アリ・アスターはホアキン・フェニックスをどうしたいんだ。
映画に限らず、作品の合う合わないや面白さ、自分のその時のコンディションも影響する。でもトレインスポッティングは4回観て4回とも面白かったから、作品そのものの面白さがやはりある。そう、合わない作品も何回か確認して測定したほうがいいのだが、4回観て4回合わなかったら最悪だからなかなか難しい。
自分で作ったもの何も食べたくね~のターンに入ってしまった。調理工程が限りなく少ない素材系を食べたり、外で食べたりしているが、それもすごく億劫だ。外に行っても食べたいものわからないし、食べたいもの無いよ。自分で食べるものを選びたくない。人に選んでほしい。仕事で疲れてて意思決定に使える判断コストがだいぶ減ってきてるんだな。1週間くらい何もせずに眠ったり起きたりしたい。仕事も趣味のことも何もせず、ただ眠ったり起きたりしたい。
完全になんか波が来てるな。労働が嫌すぎてか?何が要因なんだ。ご飯は食べてるし眠ってるし運動してるし。何か、何かの栄養素が足りてないのか?労働の疲労と趣味のことができてないことと自己否定がすごい勢いで悪循環を起こしてる気がする。趣味の方でなんか進捗を出してこのBADサイクルを断ち切らないといかんな。
素材の寄せ集めみたいな食事。冷蔵庫のぱっと食べられる素材を集めると、トマト、果物、サラダチキン、寿司ガリ、いも、かぼちゃ、かまぼこ、レタス、ローストビーフ、豆腐、納豆、米、うどんなど。健康的だ…。ご飯めんどくさいです…無理です…の字面に対して出力結果はあまりに健康的でだいぶ面白い。
転職、3Dメインで考えていくか在宅メインで考えてくかどうしようかな。仕事の疲労、集中しててずっとキチキチだからなのもあるが、多分狭すぎるのもある気がする。人が近い。隣の席の人が休みの日はいつもより疲労感が軽いものな。前々から色んな人に、あなたみたいなタイプは興味があることを仕事にしないと苦しいよを言われており、しかしそんなことできるの一握りだろ…でやってなかったわけだが、最近はどうにかしてそうならないと無理だなを実感しつつある。在宅で周囲に常に人がいる緊張による疲労が薄れれば興味のない仕事でも平気なのか、在宅じゃなくても興味がある仕事なら平気なのか、どっちの方が疲労が少なくやっていけるんだろう。理想は在宅かつ興味がある仕事だが。どっちか選ぶとしたら、在宅の方が自分は疲労が薄そうな気がする。どうなんだろう。
仕事、意識的に抜くようにしてみたらだいぶ精神が回復してきた。渡されてた仕事全部終わってしまった。締め切り日まであと2~3週間、まだ終わってませんの顔でぼんやりしていられないかな。
朝作業に成功。やはり作業は朝。タイムリミットが厳しいのでもたもたせずに取り掛かれる。しかし眠い。
台風だしもうあらかじめ有休取っとくかと思ったが、普通に予定入っててだめだった。悲しい。休みにする気が全くない会話が頭の上を飛び交っている。明日出勤するんですか…?頼む。電車止まってくれ。常に遅延してるんだから、こういう時もしっかり運休しててくれ。
電車普通に動いてる。なんでだよ。出勤も嫌だけど、今から休むために調整入れるのもすげ~嫌。連絡の嫌さが勝って出勤。こういう時、もし出勤中に事故が起こって私が死んだら何か変わるのか?と期待してしまうが、くら寿司の焼身自殺で何も変わらないなら変わらないのでしょうな。この嫌~!のストレスに勝てないの、責任を引き受ける度量…と思うのだが。医者は脳の特性で決定しなきゃいけないと脳でアラートが鳴りまくってフリーズしてる状態ですね、脳の特性です。個人の資質じゃないですを言ってくれる。それは、部分的にそうだろうなと理解はできるのだが、何が要因であろうと外側に出力されることとしては同じなのだから、私自身の資質ではなく脳の特性だったとてと思ってしまう。こういう話の時、頭の中で自己受容と社会受容の話を混同させてスライドさせてしまう。これも悪い癖だよ。しかし、自己受容ができたとて、働いてお金を稼いで食べていくためには、どうやったら自分を社会受容してもらえる形まで矯正できるのかの話になってきてしまう。苦しいよ!
調整できなかった打ち合わせ以外に別にやるべき仕事などないのだし、それだけ終わったら早退できないかな。何もかも嫌になってきた。1週間くらい有休とってしまおうかな。
だめだ、台風の進路が逸れてきたので普通に定時まで行くっぽいな。もう今日やる気ないっすよ…でハンカチ携帯定期鍵だけをポケットにつっこんで来たので現金が無い。喉が乾いているが飲料が手に入らない。理由なく気分の早退しちゃだめか?
眠るときに手を胸の上で組んでしまう。呼吸が浅くなるので手足を少し広げた姿勢がいいのだろうなと意識するが、寝付きが悪い時は手を組む姿勢に戻っちゃう。催眠とかでも胸の上にクッション置くとかかりやすいって聞くし胸に重みがかかってるのがいいのかな。それとも手が組まれてる、触覚と体温の要素なのかな。物心ついた頃からこの姿勢だものな。
スーパーマリオ魔界帝国の女神、マリオとルイージの再構築がそこかよ~!なの、私にとって一定量の台詞を喋るマリオってコロコロのスーパーマリオくんだからなのかも。基準がスーパーマリオくんなのもマリオ像としてどうなのではある。私にスーパーマリオ魔界帝国の女神のマリオ像をとやかく言う資格はない。
メメント面白い。ノーラン作品で一番好きかもしれない。やはりずっと時間の話、映画が時間のメディアである話をしている。悲しい。面白い。悲しい。認知と自己改竄。妻を無くした部分じゃなく、不確かさの中で何を寄る辺に生きて行くか……自己改竄で追うべきものを作り続けて、後ろへ後ろへと進んでいく。のが悲しい。観終わった後しばらく苦しかった。もっと重い映画は色々あるけど、あんまここまで苦しいこと無いかも。映画でこんな苦しいの、ボーイズドントクライ観た時以来かもしれない。何がそんなになんだろう。喪失を忘却してしまうこと、ストーリーの中で生き続けて、それを”世界”の全てだと思ってしまうことの怖さなのかな。そして、もはや彼には手に入らない記憶の確かさではなく自分が望んだ記憶の形、忘却を受け入れていること。常人だって普段から記憶の忘却改竄は絶えずやっているけれどもさ。苦しさを手放すために、自分で自分を騙さないことを放棄して、今この瞬間を生きるための理由付けだけがある。それが嘘でも本当でも、それが世界の全てだと信じる。信じないともはやまっすぐ立つことができない。胃がずっとぐるぐる苦しい。自分のどこがこの映画と繋がってこんなに悲しさと苦しさを感じるのか。映画の構造としてすげ~面白い。と共に苦しい!すげ~…。
ジョジョ6部のジェイルハウスロック回ってメメントじゃん。ジョジョランドでも捻りなくそのままスタンドバイミーじゃんってエピソード、エピソードどころか一コマの台詞で処理されてるところがあり、そんなのアリかよ!ってびっくりしたな。そうなると、6部のヤドクガエルのとこもファフロツキーズ現象そのものからじゃなく、マグノリア観てかっけ~になったからなのかな。ドラゴンズドリームもそうだし、6部自体がだいぶショーシャンク的だし、6部は映画からの引用が多い印象。他の部でもおなじくらいやってるけど気付いてないだけなのかな。捻りとか換骨奪胎とかではなく、かっけ~のビジュアルをそのまま持ってくるのすごいな。そんな…ありなんだ。引用したいかっけ~シーン、自分だったらなんだろうな。キンザザの乱暴すぎるロッカー射出釈放とか、ノスタルジアの最後の引きとか、黒沢清作品の雲の中を走っているような車窓とか、いいよな。あと全てをダクトテープで補修する小ボケ。
軽めの離人感が起こってるな。鏡を見て自分の顔である実感が湧かなかったり、目の前の人間が初対面であるような何故目の前にいるのか理解できない感覚。この人は家族で、この人は先輩で、と繋ぎなおす。離人感、久しぶりだな。ここ最近ストレスだろうなって反応が色々出ていて、起こっていることだけを整理すると強めにストレスを感じている状態っぽいんだけど、あんまり実感が無い。まだ底ではないというか。一番状態が悪かった時みたいな精神の落ち込みがあまり無く、状態の悪さに反して結構凪というか、平常時との差が薄い感じがする。なんなら別に全く調子悪くない。回復しきってないからだいぶ早めのとこでエラーが出るようになってるのか、無理ですよの部分が麻痺してるのか、大したことないのに大げさに受け取っているだけなのか、よくわからんな。
日記が長くなってきた。仕事戻ったらまた短くなるだろうしまあいいかと思ってたけど、日増しに長くなっていく。考えたことをそのまま文字へ変えていくことへの抵抗が少なくなってきてるってことなのかな。なんとなく良くない兆候な気がする。一旦日記やめるべきかとも思うが、頭の中にグルグルしていることを外に出すの、確実に精神の助けになっている部分があるのでやめて大丈夫かというのもある。違うな。日記をやめるやめないの話ではなく、何が起こっているのか把握して納得したい。
やはりスキーマ療法か。AI相手に延々やる。これで本当によくなるかと思いつつ、すぐ結果が出るものではないから、まぁやり続けましょう、だな。急にぐわっと不安になった時に気を逸らす、気を落ち着けることはできるか。
話が平行線。平行線でどっちかがどっちかを折る形でしか不可能なので、じゃんけん5回勝負で決めましょうと言ったところ、人が死ぬほど苦しんでいる。かわいそうに。非常に胸が痛い。苦しい。自分はスキーマ療法でやっていきます。
新幹線乗ってどこか行きたい。どこか行きたい時、パソコンを持っていけないのがネックなんだよな。スペックの高いノートPC持っておくか、データだけ握りしめて道々でPC買うかなのか。旅の荷物、いつも結構多くなってしまうが、最低限だとどこまでいけるんだろう。財布、携帯、充電器、パスポート、鍵、着替え一組くらいか。お金さえあれば荷物はどこまででも圧縮できるけど、お金がないから圧縮できないのだな。