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~20260308

3月8日
読了時間: 9分

英文暗記、気持ちいいッ!こんなん脳汁ドバドバですよ。暗誦、単語一個一個を思い出してるんじゃなく、文節単位で思い出すようになっており引き続き成長を感じる。今になって、このイディオムを受けるためにこの目的語がここに来る必要があるんだなみたいな納得感がある。ようやく文法というものを理解し始めている。逆になんで今までその状態でなんとかなってたんだよ。もしかして他の人たちは高校生の時点でこれを理解してたのか!?と愕然としている。英文法だけの話でなく、全てにおいて体系的に整理して思考するということ。自分の頭の中が全くの無秩序状態であることを実感する。ノートとか全然取れなかったしな。ノート、順番や関係どころか、文字の天地さえ無かった。頭に入れたものが整理されずにばらばらに散らばっている。

ミノタウロス、美しいよな…。ミノタウロス読んだの確か1年前くらいだっけ。秋だった気がする。ずっとぼんやり、ミノタウロス美しいよな…と思い続けてたのが、最近になって何を美しいと感じたか言葉になりだした感がある。感想の去来には時間がかかる。即座にくるものもあれば、何年も形にならないものもある。ミノタウロス、主人公を取り巻く状況が変わった理由はどこにも書いてなくて、徐々に徐々に潮目が変わって優雅な日々からぐちゃぐちゃの奔走になって行く。原因は明らかにロシア革命なのだが、遠い都で起こった決定的な事件そのものや、後世の人間が知る大局ではなく、ロシア全土に影響を及ぼす何かの余波に翻弄されている。決定的な事件の概要や大局を一切描かないのに背景を十分伝え、そして描かないからこそ齎された状況とその時代に翻弄された1つの人間の状態がバキバキに出てる。一人称視点であることも拍車をかけている。う〜ん圧巻の筆力。そう、遠い都で起こった事件や、革命思想そのものによる革命ではなく、革命による社会の動乱の余波に為す術もなく押し流される様。こう……個人が預かり知らぬところで起こっている社会の大きなうねりに巻き込まれてひどい苦痛の中ぐちゃぐちゃドロドロになり駆けずり回ること、ドラマチックな異常状況にも関わらずそれすら事象の中心ではなく、ほとんど全ての人が巻き込まれている周縁に過ぎないことなど。大きな力に翻弄される名も無き人間たち。そういう物語がかなり好きっぽいんだよな。その混沌の状態そのものではなく、人間が公的な大義や立場と私的なことの間で引き裂かれ、私的なものを守りたいというささやかな望みすら叶わず、選ぶことが許されていない…!人権や尊厳が、私個人が、この手から零れていく…!みたいな苦しみが好きなんだろうな。その苦しみが滲むのなら混沌状態でなくてもいいんだけど、そういう苦しみの話をしている作品を探そうとすると大抵乱世乱世みたいな作品ばかりになってしまう。

コンプレックス、コンプレックス。底が浅いの。出ているもので全てというか。いや、自分にとっては自分の全てが提示され続けているので全て出ているけれども、他人にとってはそうではないので全て出ているわけではないか。何もかも書いているかのような日記ですら、一切書いていないことはいくらでもある。だといえども出ているとこで結構それまでというか、人間としての深みが無いのだよな。底知れないところが無い。浅瀬ちゃぷちゃぷ。なりたいな博覧強記。あと優しい人間。人と話していると時々、その人の魂の美しいところが閃くのを目撃する瞬間がある。おお…美しい、としみじみ感動すると同時に、欲しい!私も乱反射して光る美しい光ほしいよ!しかし無い…みたいな劣等感で腹の底がぐるぐるする。高揚、返す刀で勝手に苦しむんじゃないよ。人間の美しい部分、あまりに美しくてちょっと泣きそうになる。

最近あまりに信じられないような恐ろしい事件がぱかぱか起きるのでびびりまくっていたら、優しい世界だけ見て生きていこうね、との慰めをいただいた。あれそういう冗談なのか本気の慈悲だったのか微妙に判断がつかない。優しい世界だけ見て生きていきたいけど、そうは問屋が卸さないんだな。優しい世界って何すか?って確認したら「Gan Jing World」とのことだったので普通にギャグだった可能性が高いな。

鋼鉄の嵐の中に、日本語訳欲しいけど高い~…で迷ってたが買った。5万5千円。深夜でおかしくなっており本を10万円分くらい買ってて、来月のクレジットカードの請求が怖いよ。月初だというのに。鋼鉄の嵐の中に、日本語訳版が古いのしかなくてタイトルが右横書き。カバーの表紙は凸版印刷っぽくて、中の写真は孔版印刷っぽいな。一枚めくるとエルンスト・ユンガー本人っぽい写真があるが、人物だけ切り抜かれているので絶妙にコラージュっぽい。文は活版印刷なので、裏のページの文字で紙がぽこぽこしている。文字の物質感が強くて面白い。拗音を1字で数えないのか「シャ」などが2文字で1単位になっており、他の字よりちょっと小さい。全ての漢字にルビ振ってあるし。植字工に思いを馳せてしまいますわね。こんな古い本、私にちゃんと管理できるのかと恐ろしいよ。奥付確認したら出版年が昭和5年で笑っちゃった。本棚の一番古い本が小林秀雄の文藝評論でそれが昭和6年のものなので記録更新ですわね。当たり前だが、旧字に旧仮名遣いなのでパッと見た印象がなかなか硬い。黙読だと非常に時代がかっているが、音読すれば古臭さはほとんど感じない。おっ、ということは!?と思って夏目先生周辺の手紙を音読したら普通に古くてワロタでしたね。狂なるかな狂なるかな僕狂にくみせん、じゃないのよ。Twitterの「うお~~!狂うッ!狂うッ!狂うッ!」の明治版。流石に幕末生まれ明治育ちは遠い。代仮名遣へ切り替わる手前くらいがギリギリなんだな。邦訳版、英訳版に比べて読み味が落ち着いている気がする。地に足がついているというか。英語はシャープで緊張感がある。これは単に音の響きと、英語わっかんないよ~で自分のテンションのかかり具合に影響されてるせいかも。あと、こんなのあったっけみたいな部分があり、多分邦訳版と英訳版で持ってる版が違う。全版邦訳されて復刻しないかな。しないよな。英訳版と原書をちまちま集めるしかない。塹壕兵の手記としても面白いのだが、こう…戦争を神聖視せず、「個」などなく戦争装置に投げ込まれる名も無き兵士…の感じがね…。西部戦線異状なしも近いスタンスを取っているがこっちはまだちょっとヒロイズムが残っている。鋼鉄の嵐の中での方が突き放してある。自身が、兵士というものが、騎兵のような華々しい誉を与えられるものではなく、戦争装置のための損耗する資材であるというような視線。戦争に対して、異常な興奮状態というわけでも無く逆に暗澹たる深い絶望も無く、変に淡々としている。起こっているものは起こっているのだから、そこは所与のものだからね…とでもいう態度。背景としては最前線真っ只中であるけれど、日々の生活を記している。正に日記だ。地に足がついた読み味というのもこのスタイルのせいなのかな。最後の一行が「ドイツは亡びない。ドイツは儼存する。」なの迫力がある。ここだけ改行して一行分開けてあるし。この「ドイツは亡びない。ドイツは儼存する。」の第一次世界大戦が、ナチスドイツや第二次世界大戦に繋がってくるのだなと思うと、なかなか何とも言えない苦しさがあるな。そう、これは第一次世界大戦後作品なんだよな。私はついWW1とWW2をセットで考えてしまうが、この場合は普仏戦争の後の世界大戦と捉えるべきなのだよな。この感覚なの、ドイツはWW1の時なんだかんだ本土で戦ってないからってのもあるのかな。戦争がまだ兵士だけのものだった時代。戦争…最低最悪です……になるのって大抵本土焼かれてからだものな。アメリカだってWW2の後、本土無傷だったから勝利勝利✌だったわけで、戦争…カス……はベトナム戦争を待たないといけないわけだしな。WW2以前の版と、WW2以降の改稿版を読み比べてみたい。

英文暗記、肝心の出題されてる単語の部分が思い出しにくい傾向にある。例文で赤字になっているところが思い出しにくいっぽい。やはり画像的に記憶しており、周りの黒字に比べてコントラストが低いから形の判別と定着が上手くいってないんだろうな。

藤井風のピアノ弾き語りいいよな。彼の身体に巡る脈動が音となり伝播している。音楽の歓びとか楽しさを振り撒いているような。ピアノに小さい頃から慣れ親しんでいるんだろうなという遊ぶような自由さ。あの伸びやかさと自由自在さが眩しい。身体の自由自在な伸びやかさ、憧れる。音楽に限らずパルクールとか体操とか絵とか、飛ぶように走ったりスーッと美しい線を引いたり様々な思想をするすると繋げたり。技術の確かな素地があり、技術が身体の一部になっているから操作に煩わされずに表現だけをできる。そういう身体の自由自在さが自分には無いので、無いのが悔しくてベッドでのたうち回っている。努力も才も足りていないので無いのは当然である。伸びやかさを目撃すると感動に震えると同時に、己は獲得できなかった!(そしてこれからもすることはない……)の悔しさに襲われ自己嫌悪で落ち込む。伸びやかさとはちょっと違うが、サンボマスター聴いた後もなる。サンボマスター聞いて落ち込むやつがあるかよ。藤井風、ピアノでのカバーの弾き語りは視聴していたが、オリジナル曲は聴いたことがなかったかも。オリジナル曲、かなりハッキリと宗教世界が出ていて、おおこんなにダイレクトなのかとびっくりしたな。Graceとかかなりモロだな。藤井風と宗教、とても興味深い。だいぶ前にも日記に書いた気がするな。今の日本でこれだけのメジャーさで宗教世界の作品をやっているミュージシャン珍しい。大人になってから入信したとか、興味の対象として遠くから観察するとかではなく、完全に内在している。日常生活だと、教義がはっきりとあり一定の方向性がある宗教を信仰しその規範が完全に内面化している人、そしてその宗教観を垣間見れることってなかなか無いから。日本の仏教や神道って儀式的な部分は日常へ溶け込んでるけど、聖書やコーランのように一般信徒が経典を日常で読むみたいなことがあんまり無いよな。「日本人は無宗教」への反駁で初詣などの宗教行事が引き合いに出されるが、儀式部分じゃなく教義理解の薄さの話の方が核だと感じる。

お昼食べ損ねた。夕飯に響かないようにコロッケで小腹を満たす。パン粉の散った白い正方形の皿を流しに置いたら、全く同じくパン粉の血った白い正方形の皿があった。今日は一回しかコロッケ食べてなくないか?朝食にコロッケは食べてなくない?としばらく2枚の皿を眺めて考え込んでしまったが、朝食はトーストしたパンだ。どっちも過熱したパンだからな。

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