~20260301
平安時代あたりは土地の私有概念が無かったの、面白い。面白いというか、それを読んだ時もだいぶ時間のたった今も、その概念が無い状態と言うのが微妙にピンと来なくて節々で思い出しては不思議な心地になる。どこで読んだんだっけ。タイトルそのものからして立岩真也の私的所有論だと思うんだけど、パッと出てこない。私有概念が無いとは、全ての土地は帝のものでそれを借りているということなのか、それとも現代の人間が大気を所有物として切り分けられないようなものなのか、どういう感覚だったのだろう。前者だったらそれは帝が所有しているという概念が成り立っているわけだから違う気がする。後者も、塀や生け垣の中に入ってくる侵入者を許容したとは思えず、堀や生け垣で境界を区切っていたならばテリトリー概念があるということではないのか?私有概念が無いってなんだ。所有の概念はあっても私有の概念が無いってこと?その土地の権利者が複数人いてオーバーラップすることを許容していたということ?どれもこれも現代人の自分が想像するものだと見当はずれな感じがする。伐採と森焼きで住居を移していった狩猟時代や遊牧民族あたりをとっかかりにイメージしたほうがいい気もする。戦いが土地の確保ではなく、食料などの資源を略奪する戦いであった時代だったり。不思議だ。土地の私有概念が無い話とタイムマシンの話、時々頭に浮かんでは毎度わからんな~になる。
久しぶりに外出。花粉で目が痛い。どうやら父にうっすらと認知症が疑われる症状が出始めてるらしい。とうとうか遅かったなという気持ちと年齢の割に早いかもなという気持ち。あの人今いくつなんだ?70くらいか?火の中にチャッカマンを入れて爆発させたのとひらがなの「ち」が思い出せなかったらしい。母に、認知症になっても穏やかな性格が出ればいいねと言ったところ、元々穏やかな性格だから大丈夫じゃないかなと返ってきて、…?だったな。怒ってるか不機嫌かの印象しかないが、母からしたら穏やかな性格の人だったんだな。
児童文学ドパガキ、終わらね〜…。1ヶ月だけマーベラスデザイナーのサブスクやって集中的に服を作ろうかと思い、それなら2月中に最後残ってる肘のウェイトをやっておかなきゃいけない。ので今すぐ児童文学ドパガキをやめなければいけない。やめらんね〜…。
蒸し器買った。買った瞬間は他の様々な必要なものを差し置いて何故こんなことを…と思ったが、結果的には良い買い物だったな。蒸し、レシピを見ても野菜本来の味を楽しめる人向けというか好き嫌いが少ない人向けというか、あんまり自分では活かしきれないんじゃないかと、しかしなんだかんだ数年前からなんとなく欲しい…で揺れまくってた。肉まんをほこほこにして食べたいんだよ。素材を蒸して食べるというより、温め用として便利だ。ご飯、汁物、主菜、副菜をいっぺんに温められて、時間も適当に放置してていいのが嬉しい。電子レンジだと4つ温めてるうちに最初に温めたものがちょっと冷めてしまうし、やりすぎてパキパキになったり足りなくてぬるかったりする。欲を言えば、温め用でこんなに使うのならもう少し大きいの買っても良かったな。折角だし茶碗蒸し作るか。
児童文学もぼちぼち脳が飽きてきた。良かったよ。徐々に他のことに目が向くようになり、写本や別の読書などもできるようになってきた。脳が暇しているせいか、暗記をやりたい気分になっているが、差し迫って暗記すべきものがないのでとりあえず英単語帳の例文を暗記していく。受験期は英文の暗記が一切できなかったので、できるようになってて感動。だらだらやってても微々たる前進はするものなんだな。英語以外のこともこんなんでいいのかなと思いつつも、かたつむりの這うような速度だが成長してるっぽいしまぁいいか…と思える。英文の暗記ができるようになったの(できなかったの)って英語の構造や約束が少しだけ理解できるようになったからだな。日本語ならキーワードだけ抑えればと語順や間の品詞は勝手に補われるから。逆にだからこそ法令の暗記がめちゃくちゃやりにくかったんだろうな。あれは名詞以外が文意に与える影響が大きいから。受験期は英語を記憶が必要なジャンルと捉えてなかったのもある。受験期、文法も単語も全く覚えておらず、英長文と日本語訳を左右に並べてザーッと目を通すをひたすらやった結果、内容が一切わからないのになぜか正解を引けるみたいな状態になっていた。今思うと、2次試験が実技だけで、英語を選択式しかやらないからギリ成立しただけのやり方だったな。大人になって、なんでそんなに記憶力良いのに英語苦手なのって言われて初めて、英語って暗記でいけたんだって気付いた。言語学習の才を持った者なら言語は構造解析になってくるのだろうけど、凡骨ワイレベルだと記憶ゲームになってくる。それはそう。暗記、できるし嫌いじゃないけど、得意かって言われると微妙なんだよな。本当に一字一句違わず全てを覚えるやり方しかできない。得意じゃないなりに暗記がするするできたのは多分演劇部で回路が開いたせい。2週間で2万字の台本暗記を3ヶ月ごとに繰り返してた。演劇部、苦い記憶や恥ずかしい記憶が多いがここについてはサンキューだな。教科書の1文目覚えたら暗唱して、それができたら2分目覚えたうえで1文目から続けて暗唱して、3文目覚えたらまた1文目から全部暗唱してを続けて、最終的には1文目から最後までを一気に暗唱するみたいなやり方。最終的には暗唱で3~5時間かかってしまう。最初と最後でさらう回数が違うので後ろの方になればなるほど暗記が甘くなるのだよな。試験の時、もう満点は無理だ…と絶望の中、1970年以降の問題は勘で解いた記憶がある。あと必要なくなると即座に忘却してしまう。今はもう、かつて覚えた内容全く覚えてない。本文はおろか、下にある注釈や図像の下の解説も全部覚えてたのに、何一つとして覚えてない。あのかったるい法令も、括弧の中の何々法第何条みたいなのも全部忘れた。人物名などを聞いても、どこの誰だよになってしまう。こう…要領が悪いんだよな。多分要領がいい人って用語と人物と時期を抜き出してセットで覚えたり、場所だったり、命名規則だったり、なんらかの法則で整理して折りたたんでおいて、一つのものに複数フックを作って連鎖的に記憶しておくやり方をしているんじゃないかな。自分は指示代名詞から助動詞から、偏差を付けずに全部そのまま覚えるので無駄が多い。試験中、頭の中の画像から確かページの左側のここにこれが太字になってて、ここの後ろに余白があったからここで改行してて…ってことはここの続きにあれが書いてあるな……これの答えはあれが書いてある3行上くらいにあって…の検索をやっていた…気がする。文言の暗記と共に画像で記憶しているので、歴史的つながりじゃなく、ページ内の位置関係で確認してた。要領悪すぎ…。しかし、要領が良いの代名詞・兄に暗記のやり方を聞いたとき、「こう」って言って、教科書をバッと開いて10秒くらい眺めて閉じて「はい」って返されたことがある。あれ、完全に画像記憶だったよな。兄の頭の中はどう整理されてたんだろう。
もう今何もかもを蒸したくてたまらん。新しいおもちゃに夢中。ホットケーキを蒸す。ほこほこでうまい!蒸し器の嬉しいところは火にかけて適当に放置しておけるところ。焼きだとフライパンから離れられないのが嫌なんだよな。蒸し、やりすぎてもべちゃべちゃにならないのもえらい。ほこほこで美味しいが、ホットケーキのおいしさってメイラード反応による茶色い部分の香ばしさが大きいので、焼きの良さを一つ失ってはいる。しかし、蒸しだと、ガラスタッパーで混ぜてそのまま蒸すができるので洗い物が少ないのがすごくいい。これはもうガラスタッパーで混ぜたものをそのままオーブンで焼くのが良いのでは?と思うが、それはケーキへの回帰。オーブンや型を使わずに簡単に焼けて嬉しいというのがホットケーキの起源なのだろうが、それを完全に否定することになる。
「論理マンですよね」「感情的なので論理マンではないです」「『感情的なので論理マンではないです』」「論理マンだ…」の会話をたまに思い出す。やや面白い。しかし常々疑問なのだが、論理的が何を差すのかがいまいちわからんのだよな。論理は話法に宿るのか内容に宿るのか。筋道が通っており飛躍が無いことなのだと思うが、内容が突飛なことでも筋道立てて説明することはできるはずだ。陰謀論だって、論理的な話法で話せる。逆に筋道の通った考えでもめちゃくちゃな語り口であれば論理的ではないことになるのか?論理、内容に宿らなければ意味が無いと思うが、話法じゃなく内容勝負になってくると論理的かどうかって、妥当性を確かめるの難しくないか?じゃあ話法に宿るのか…?そもそも内容(思考)と話法が分割できるのか/一致するのかみたいな話になってくるし、そうすると結局はヴィトゲンシュタインの深い森の中にはまり込んでいく…。よくわからん。
日常の会話劇作れね~…なんだけど、できるようにはなりたいので鍛錬あるのみ。会話劇作れないの、自分が会話できないからというのはあるけど、フィクションにおける会話は必ずしも現実の再現でなくてもいいわけなので…ただの練習不足のはず。ミュージカルや歌舞伎の台詞回しが現実の会話と異なっていても、何らかのリアリティが生じるということは、そういうことや。何を重視して何を立ち上げたいかの意志。同人畑出身で商業漫画を描いている女性作家の作劇が結構好き。よしながふみ、雁須磨子、今市子、野田彩子。野田彩子だけは年代が違うけど、他の3人はたしか商業デビュー年が近いんだよな。1993、4年?よしながふみと雁須磨子は同人時代から親交があったらしいし。そのあたりの作品の会話って、気遣いができる人が人との会話で何に気を配っているかが滲み出てる。特に雁須磨子さんの、気遣いができる側の人間が不器用ド直球人間の発言に内心あわわわ~になってる描写、結構好きだ。そ、そんなこのタイミングでそんなハッキリ言うか~この人は~!でありつつも、そういう不器用な人間へかわいさを感じているような作者の眼差しが…。救われる。救われるな!優しい人の優しさに胡坐をかいていてはいかん。で、そういった感じの会話劇は自分には絶対作れないので、いいな…羨ましいな…と思いつつも、別の方向に舵を切ってどうにかこうにかやっていくしかない。
元気が出る・疲れが取れる系のものなどに対して全部「ヒロポン?」で捌いてしまう。ミックスジュースの歌の「こいつをググっと飲み干せばなんでもかんでもいい感じ」とか。本当に自分はなんてつまらない人間なんだ…とガッカリする。
文体の舵を取れの、ひびきとリズムの美しい文を書こうのとこ、子どものときにうきうきして使ってた語呂の良い言葉やインパクトのある言葉をとのことだが、頭に浮かんだのが「ロンドン橋落ちる落ちる、勝海舟!かつ元ぜよ!ラタナコーシン朝の双頭の鷲の元、武張ったとこの無き無きシューゲイザー」なので終わってる。そういうことではない。その瞬間脳裏に浮かんだものを全てそのまま声に出せということではない。脳をほったらかしておくとずっとこう。将来呆けたら、こういう脈絡のない単語を羅列し続ける老人になってしまうのかな…。怖いよ、助けて…。好きな音や好きなリズムを真剣に考えると、やや格式ばった古式ゆかしき語りになるかも。流るる。やんごとなき。あれかし。よわりもぞする。ん、心安らかなり。